More servicesWindows Live
HomeHotmailSpacesOneCare
 
MSN
Sign in
 
 
Spaces home  北の国から猫と二人で想う事PhotosProfileFriendsMore Tools Explore the Spaces community

リュウと猫のフー

View spaceSend a message
Occupation:
Location:
Interests:
オジ(自称)のブログは、猫の事、時事にまつわる事や、外国ネタ、その他、取り留めのない書き込みです.
Updated 4/6/2007
Updated 5/13/2008
Updated 5/11/2008

北の国から猫と二人で想う事

過去の記事はカテゴリーかバックナンバーで参照、記事の右上三角を押すと隠れているほかの記事も出てきます
8/28/2008

北朝鮮 女スパイ 北韓女間諜落網

20080828k0000e030091000p_size520080828011220080828091255-1

15歳から34歳までスパイ活動をしていた女性が韓国で逮捕された。北朝鮮の女性スパイ元正花(ウォン・ ジョンファ)容疑者を捜査した合同捜査本部関係者は、同容疑者について、「“韓国版マタハリ”と人は言うかもしれないが、その人生を見ると、本当に哀れな女」と語った。マタハリとは、第1次世界大戦時にドイツとフランスをまたに掛け工作活動をした女で、性的な関係を武器にする女性スパイの代名詞だ。 Ci080828195555

200808280112_0 スパイ教育を受けて中国に潜入、中国北部の延吉や琿春な どで「北朝鮮反逆犯(脱北者)」ら約100人を北朝鮮に拉致したと言うから、彼女の功績で多くの脱北者が死刑や悲惨な運命に引き込まれ、暗殺指令は実行できなかったというが、多くの脱北者が北朝鮮の絶滅収容所という地獄に送り込まれたのは紛れも無い事実だろう。,。アメリカに密入国した北からの脱北者が、「脱北者の中に多くのスパイがいる」と言っていたが、実際に逮捕されたのは今回が始めてで、なんと去年は日本まで来て脱北者の情報収集をし、日本で偽装結婚をしようとしていたという(韓国人として日本人男性と3度見合いをし、今年7月まで仙台にいた)最後は韓国人の29歳の将校と恋に陥り、日本への駆け落ちも計画していたが、3年間の内定の末逮捕された。彼女が北朝鮮国家保衛部(秘密警察)所属の工作員であることを知りながら、脱北者名簿などを提供したウォン容疑者の恋人である陸軍大尉のファン某容疑者(26)も、国家保安法上不告知などの容疑で、逮捕・8月27日訴され、元正花(ウォン・ジョンファ)容疑者(34)は国家保安法違反の罪で同じ27日起訴。最後は正体を知った愛人の韓国人大尉に自主を薦められていたという。左は、北朝鮮~中国~韓国~日本と渡り歩いた女スパイの行動範囲。最後は普通の人間に戻りたかったのかもしれない。この女スパイ、実は北朝鮮でナンバー2の金永男最高人民会議常任委員長の親戚の娘だという。さて、北朝鮮はどう出てくるのか?多分無視するだろうな。そんな女性は存在しないとか言って、、、。(ところでタイトルの 北韓女間諜落網 は中国語で北朝鮮の女スパイつかまる と言う意味だろう。中国語でスパイは 間諜 というとは、日本陸軍も使っていたので以外だった。)

正義の使者?ニンジャ?

Ci080827103050

アホっぽいニュースがたまに出てくる。アメリカで24日配信のニュース.19歳と20歳の若者二人が奇妙な武器の所持で捕まった。 内容はニンジャの黒装束から、十字手裏剣、ナイフ、刀、弓、マキビシ、。。麻薬ディーラーや常用者に手紙を送りつけ、止める様に脅迫?していたようで、自分達を「忍び戦士:Shinobi warriors」と自称していた。ついでにガールフレンドを手紙で嫌がらせしていた罪も発覚。なんかお粗末なニンジャ達。正義心はわかるんだが、一体この武器で何をしたかったのか?麻薬買ったら背中に手裏剣が!!!と言うことなんだろうか。漫画かアニメの見すぎじゃないか。日本人には理解不能な ニンジャマニア なんていうサイトもあるけど、、分からん!

Ci080827103009 Ci080827102833 Ci080827102929

何の罪も無いのに

2204167940-body-abducted-japanese-aid-worker-found-official

0808130232_600 アフガニスタン東部で日本の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」(本 部・福岡市)の伊藤和也さん(31)=静岡県掛川市出身=が武装グループに拉致された事件で、現地警察当局は27日、拉致現場近くの山中から日本人らしい男性の遺体を発見した。,,遺体はナンガルハル州とコナル州の境界付近の山中で見つかり、アフガン人スタッフが伊藤さんとみられると連絡してきた。遺体は脚など数カ所に銃撃を受けた跡があった。同会の複数の日本人スタッフは27日午後、ジャララバード市内で遺体と対面し、伊藤さんに間違いないとの見方を示した。

art.kidnap.suspect.ap いくら戦闘地域だとしてもひどいことをするものだ。何の罪も無い、苦労を承知で正義心だけで働く人間を撃ち殺すとは、、。写真は遺体を収容している写真だという。改めて場所を見ると、すでにブログに書いたが、この辺は先月7月13日攻撃されアメリカ兵8人が死亡したアメリカの中継基地に近い。ここ数年でアフガニスタンでの米兵の被害では最大の戦闘だった。最近タリバンが急激に勢力拡大している地域だ。文字通り戦闘状態の地域と言っていいだろう。いくら危険を承知でも完全な戦闘地域でのボランティアは危険すぎではないか。あいまいな警告しか出していないとすれば現地外務省の責任もあるのではないか。 本気で外務省は海外の情報を収集し、警告しているのか疑問に思う。すでに8月に入って支援団体職員4人がこの地域で射殺されたことも有り欧米系の支援団体はこの地域での援助活動の撤退を公表していた。この辺のことに日本のマスコミが言及していないのは残念に思う。亡くなった伊藤さんのご冥福を祈る。写真下左は、26日までの犯人一味との銃撃戦の末に捕まった容疑者(真ん中)

タリバンの声明:反政府武装勢力タリバンのムジャヒド報道官は27日、遺体発見後に共同通信の電話取材に応じ「日本人を殺害した。すべての外国人がアフガンを出るまで殺し続ける」と述べた。報道官は「このNGOが住民の役に立っていたことは知っているが、住民に西洋文化を植え付けようとするスパイだ」と主張。日本のように部隊を駐留していない国の援助団体でも、われわれは殺害する」と訴えた。

猫の写真家、ドイツから

   

ドイツに写真を撮るネコ、「作品」はネット上で公開

2008年1月21日、ドイツ東部Hartensteinで、小型カメラを首にぶら下げたネコの「フリッツ(Fritz)」。(c)AFP/DDP/UWE MEINHOLD【1月22日 AFP】ドイツ東部Hartensteinには、写真を撮るネコ「フリッツ(Fritz)」が住んでいる。フリッツは小型の防水カメラを首から下げ、毎日のように散歩に出発。カメラのシャッターは1時間にわたり、15秒ごとに自動的に切られる仕組みになっている。フリッツが撮影した作品の数々は、フリッツの飼い主Ramona Marksteinさんの個人サイトに掲載されている。(c)AFP

いったいどうやって撮っているのか、動画で見てみた。子やって撮り貯めた写真でカレンダーが作成している。もしかしらご主人は写真家?ドイツ語なのでわからなかったがなんとなくそんな感じ。

8/27/2008

フランダースの犬 原題 "A Dog of Flanders" ウィーダ Ouida の生涯

250px-Ouida_photo

300px-Ouida_cartoon220px-Viareggio-channel

不遇だったフランダースの犬の原作者 ウィーダ の記録がほとんど無い。寄せ集めでここに保存する。

Ouida January 7, 1839January 25, 1908) was the pen name of the English novelist Maria Louise Ramé (although she preferred to be known as Marie Louise de la Ramée).運河の写真は彼女のなくなったイタリアViareggioの運河風景。イラストはCaricature of Ouida (Punch, August 20, 1881)より。

Ramé was born in Bury St. Edmunds, England, to a French father and an English mother. She derived her pen name from her own baby-talk nickname for "Louise". During her career, she wrote more than 40 novels, children's books and collections of short stories and essays. She was an animal rights activist and animal rescuer, and at times owned as many as thirty dogs. For many years she lived in London, but about 1874 she went to Italy, where she died.

1839年1月1日 イギリスのサフォーク州ベリィ・セント・エドマンズで生まれる。
         本名は、マリア・ルイーズ・ド・ラ・ラメーという。のラテン系の気質を強く受け継ぐ。
     子供の頃、自分の名前がよく言えず、ウィーダと言っていたので、周りの人達からもそう呼ばれ、後にペンネームにする。

     フランス人で船乗りだったは、ウィーダが生まれた頃から家に居着かなくなる。
     イギリス人のは、祖母が住むハードウィックの家でウィーダを育てる。

     少女時代 読書が好きだった。がパリで死去。

     1859年 20歳 ロマンス小説作家としてデビューすると瞬く間に人気作家となる。

     1860年代 と共にロンドンに移り、一流ホテルのスイート・ルームに住みながら次々とロマンス小説を出版し、
     一冊1000万円以上稼ぐ流行作家になる。小説の中にをモデルとしたヒーローを登場させる。
     初期の作風は華やかなロマンティシズムに溢れた空想的な作品で、怪奇的な所もあったが、人生経験を積み重ねる
     内に、次第に深みのある落ち着いた作品になっていく。
     華やかな生活を送り、いつも美しく着飾って、数々の恋愛に溺れる生活を続ける。

     1867年 28歳 『二つの旗の下に』(Under Two Flags)を出版する。

     40歳年上のオペラ歌手マリオとロンドンで知り合い、熱烈な恋に落ちる。     
     恋人マリオを追って、イタリアのフィレンツェに移住し、最高級の豪華なホテルのスィート・ルームに住む。
     マリオにラブレターを送ったり、オペラのステージに花を投げ込んだりするが、この恋は実らずに終わる。     

     1869年 30歳 作家としての地位と膨大な資産を得、イギリス・イタリア両国人の社交界で活躍して華やかな生活を送る。
     フィレンツェのヴィラ・ファリノラという屋敷を借りきって毎週豪華なパーティを開く。豪華な衣裳を身につけ、
     豪華な白熊の皮の敷物の上に立って客を迎えたそうです。

     30代 明るく南国的な作品を多く書く。
     ロマンス小説作家として成功したウィーダは、上流階級のサロンによく招かれ、ルーベンスの素晴らしい絵を知る。
     何匹もの犬と共に暮らし、フォアグラやキャビア等の高級な食物を与えていたそうです。
     犬を心より愛していたウィーダは、イタリアの動物愛護協会の設立に貢献する。
     
     1871年 32歳 ベルギーのアントワープに旅行する。

     1872年 33歳 『フランダースの犬』(A Dog of Flanders)をイギリスで出版する。
     この作品はアントワープを旅行した時に見た事実を取り入れている。
     当時、村人達は貧しく、一食ですむ犬は、馬よりも安く貴重だったので、荷車を引く犬は普通でした。
     力強い犬をかけ合せたのがフランダース犬で、昔は、町の至る所で見られたそうです。
     土地台帳で、当時の住民登録を調べると、風車のある家に12歳の一人娘がいたそうです。
     
     1878年 39歳 『友情』を出版する。この作品はマルケーゼ・デ・ラ・ストーパとの恋(彼に恋をするが、
     彼はウィーダの友達であるイギリス人の歴史作家とも恋愛関係にあったので、この恋も実らずに終わる)や
     当時のフィレンツェの上流階級の様子を描いている。
     イギリスでウィーダの作品は次々とベストセラーになり、人気の絶頂に達した。

     1880年 41歳 『Moths』を出版する。
     激しい情熱の溢れている作品を創作する一方で、詩情をたたえた芸術的な味わい深い短編小説やエッセイを出版し始める。

     1882年 43歳 『子供のための物語集』を出版する。 

     1891年 52歳 『銀色のキリスト』を出版する。

     ウィーダは、成功してお金持ちになったが、周りに心を許せる友達がいなかった。
     お金が入れば入るほど人を信じなくなっていき、恋人達の心をも疑うようになる。
     彼女の満たされない愛情は、決して裏切らない犬達へと注がれていった。
     ヴィラ・ファリノラの家の持ち主の許可を得ずに、庭の一角に犬達の立派な墓を建てた事でトラブルになり、
     契約を打ち切られると、常軌を逸したように犬達を溺愛していきます。

     1894年 55歳 を亡くし、ルッカ郊外ヴィラ・マッソーニに家具付きの家に引っ越すが、イギリス政府からの
     年金も、犬や猫の食料に使われ、お金が底をついて、犬達の食事代のために勝手に家具を売り払ってしまう。
     家賃が払えなくなったウィーダは、馬車に押し込められ、ヴィラを追い出されてしまう。

     イギリス人が多く住む山深い温泉地バーニ・デ・ルッカのホテルロシアの一室に引っ越すが、田舎暮らしに
     馴染めない事と犬が原因で、再び追いたてれられてしまう。

     海辺のリゾート地ヴィアレツジョに引っ越すが、犬が原因でトラブルを起こし、転々と住まいを変えなければ
     ならなかった。
     イギリス政府からの僅かな年金も全て犬や猫達の食事代に使われ、経済的にはかなり苦しくなっていたが、
     誇り高い女性だったので、友達の援助の申し出を断る。

     1905年 66歳 ヴァン・ウルセル伯の遺産の風車と領地が売り渡される。後に、オンデルウェゼルストラート
     の小学校(風車小学校)が建設され、校庭に昔の風車が五分の一のサイズで復元された。

     駅前広場の馬車の中でホームレスのような生活を送る。

     晩年 厳しい寒さで肺炎を患い、左目を失明してしまう。見かねた人々が、ウィーダを安アパートに収容するが、
     体力の衰えが激しく、肺炎が悪化して病の床につく。

     1908年1月25日 ヴィアレギオ町で一人淋しくこの世を去る、享年69歳。
     ルッカのイギリス領事が、ウィーダの友人達に募金を呼び掛けてバーニ・デ・ルッカにある英国人墓地に葬られる。

     1914年 アメリカの白黒・無声映画「フランダースの犬」(ハウェル・ヘンゼル監督)が公開される。

     1916年 アメリカの白黒・無声映画「二つの旗の下に」(J・ゴードン・エドワーズ監督)が公開される。

     1922年 アメリカの白黒・無声映画「二つの旗の下に」(トッド・ブラウニング監督)が公開される。

     1924年 アメリカの白黒・無声映画「フランダースの犬」(ヴィクター・シャーツィンガー監督)が公開される。

     1935年 アメリカの白黒映画「フランダースの犬」(エドワード・スローマン監督)が公開される。

     1936年 アメリカの白黒映画「二つの旗の下に」(フランク・ロイド監督)が公開される。

     1959年 アメリカ映画「フランダースの犬」(ジェームズ・B・クラーク監督)が公開される。

     1975年1月5日 TVアニメ・シリーズ「フランダースの犬」が放映される(~12月28日)。     

     1985年 『フランダースの犬』(Eenhond van Vlaanderen)のフラマン語版の翻訳本とコミックが出版される。
     2月 ホーボーケン観光局の前に建てられた「ネルロ少年とパトラッシェ」の記念像の除幕式が、山本ベルギー駐在
     日本大使とコールス・アントワープ市長の手により行われる。

     1997年 劇場アニメ映画「フランダースの犬」(黒田昌郎監督)が公開される。

     1999年 アメリカ映画「フランダースの犬」(ケビン・ブロディ監督)が公開される。

     他に『帰ってきたむく犬』『ストラスモー』『囚れの身となって』『ニュールンベルクのストーブ』(The Nurnberg stove)
     等の小説約40編があり、イタリアを舞台にした多くの情熱的な作品を出版する。
     作品はガチョウの羽ペンで書き、必ず男性、恋愛、犬の話が付き物だったそうです。     
     小柄でハスキーな声をしていたウィーダは、高い知性と才能に恵まれた、非凡な話術の持ち主だった。
     美と芸術を愛し、自己主張が強く、情熱的で、エキセントリックな性格を持ち、自由奔放な生活を送った。

     参考図書 :『名作へのパスポート』こやま峰子 金の星社 250pxOuida_signature_thumb3
           『フランダースの犬』村岡花子 訳 新潮社
     参考テレビ:衛星放送 BSスペシャル「名作を生んだ女たち」
8/26/2008

ネコネコな話

ジャワ語でネコネコは不思議なという意味らしい。インドネシアで人間の体内から針金が生えてくるというネコネコな話。医者の検査でも原因が不明で全国紙で報道された。カリマンタン島(ボルネオ島)のサマリンダ市ムルデカ通り3丁目のNOORSYAIDAHさんの
おなかから針金が出てきました。あまりにも沢山生えてくるので医師に摘出してもらうのですが、また生えてきます。インドネシアでは恨みをかった相手からブラックマジック(ilmu hitam)をかけられ体内から金属や土が出てくる話があるそうですが、医師が検査をおこなったところ、40本近くの針金が体内に埋まっていることがレントゲンで確認されました。また腹部の皮膚を突き破って生えてきた針金のなかには、すでに錆びかかっているものもあるとのことです。医師の見解では針金は自然発生したもの。ただし、なぜ生えてきたのかはわかっていません。また日に日に伸びてもいるそうです。黒魔術か?ン

Bu_Noor01 Bu_Noor02 Bu_Noor04 Bu_Noor05 Bu_Noor03

8/24/2008

犬でも育てるのに、、、

Ci080824160715 南半球のアルゼンチンで、生まれたての放置された人間の子供を犬が暖めていたのが見つかり、女の子の新生児は病院へ保護された。母親はその後14歳とわかり調査中。犬小屋の中で、写真の母犬 チャイナ は他の子犬と一緒に暖めていたそうです。首都のブエノスアイレスから75km南の田舎で、季節は冬だが凍えるほどでは無かったtのが幸いした。

病院の責任者は報道陣に対し、発見時の赤ちゃんは生後わずか数時間で、いくつかのあざはあった ものの健康状態に問題はなかったと述べた。警察はその後、14歳の少女が夜間に屋外で出産したことを突き止めた。この少女が赤ちゃんを 犬小屋の中に置き去りにしたのか、母犬が発見して犬小屋に連れ帰ったのかは明らかになっていない。 ソース(Reuters) 2008年 08月 23日付けとここから

残念な結果 クジラの子 コリン

  

8月19日、オーストラリア東岸沖で親に育児放棄されたと思われるザトウクジラの子がシドニー北部の入り江に迷い込み、救出活動が続けられていた。 ニューサウスウエールズ州国立公園当局の担当者クリス・マッキントッシュ氏は「クジラの子(愛称:コリンColin)はここ1日か2日、(入り江になっている)ピットウォーターにいる。母乳を探して係留してある船に鼻をすり寄せているようだ」と語った。 救出担当者らはクジラの子が母親を見つけられるようヨットを動かして外海に誘導しようとしたが、うまくいっていない。専門家によると、クジラの子が母乳なしで生きられるのは2―3日と言うことで、安楽死も検討されていた。

オーストラリアの国立公園・野生動物局は22日、ヨットを母親と勘違いしてシドニー(Sydney)付近のピットウォーター(Pittwater)湾に迷い込んだザトウクジラの赤ちゃんを安楽死させたと発表。

赤ちゃんクジラは通常は毎日230リットルの母乳を必要とするため、数日で急速に衰弱。当局は「苦しみを長引かせるよりは」と、安楽死処分を決断した。当局にとってもコリンの安楽死は苦渋の選択だったが、ほかに選択肢はなかったという。
 国立公園・野生動物局広報官、クリス・マッキントッシュ(
Chris McIntosh)氏によると、コリンはボートに乗った獣医師により大きな注射器で麻酔を投与された後、浅瀬までけん引され、安楽剤を投与された。
 コリンを安心させるため、先住民アボリジニの「ホエール・ウィスパー」が獣医師に同行。昔の歌を歌うとコリンは近づいてきてボー